関西の建物/阪急コンコース
2007年03月26日
秘密基地完成近し!?(大阪市西消防署の建物建築状況 その3)
本日も約1ヶ月ぶりに大阪市の大正区へ行って来ました。
快晴の天気の下、颯爽とJR大正駅に降り立ちました。
少し歩くと“秘密基地”ならぬ<大阪市西消防局>の建物が視界に。
『あっ!』様子が変わっています。
先月見たときには消防局のビルの上に建設されていたアンテナ横には大型のクレーンが取り付けられていたのですが、1ヵ月後の今日見たところ、大型クレーンは撤去されその姿はありませんでした。
アンテナは“完成”したということなのでしょう。
UPでみてみると、塔の内部には階段が見えました。
点検は大変そうですね。
やはりアンテナ建設用の大型クレーンは完全に撤去されています。
ちなみに先月の様子はこんな感じでした。
まだ、北側壁面の左半分は工事中の様子。
建物の周りも高い塀で囲まれたままです。
個人的にはアンテナは京セラドーム大阪の東隣に立つこの大阪ガスの建物上の形が“いかにもアンテナ”という風情で分かりやすくて好きですね。
次回はゴールデンウィーク明けの5/7に大正区へ行く予定ですのでまたご報告致します。
今回のおまけ写真。
境川交差点を北方向へちょっと進んだところで見つけました。
その先には古い足踏み式ミシンが暖かな春の日差しを浴びて飾られていました。
ちょっといい感じでしたよ。
京セラドーム大阪の南側には新たに2007年版のオリックスバファローズのチーム標語が掲げられました。
<One Heart Beat (鼓動を一つに)>だそうです。外国人監督の下、良い結果が出ますように。
2007年02月27日
秘密基地完成までもう少し?(大阪市西消防署の建物建築状況 その2)
秘密基地完成までもう少し?(大阪市西消防署の建物建築状況 その2)
2/26に大阪市大正区まで行って来ました。
今回は2/23の記事の続報になります。
2/23の記事では1/29時点での工事状況をお伝えしましたが、それから1ヶ月弱経った時点での進捗状況となります。
1/29時点ではアンテナの高さが3段だった“秘密基地”ならぬ<大阪市西消防署>ですが、2/26にはなんとその倍の6段にまで成長していました。
これだけ高くなると少しはなれたJR大正駅のプラットホームからでもアンテナの上部がはっきり見えます。
アップで見てみると、金属骨格だけの構造物でとてもSFチックな感じ。
アンテナ建設用の大型クレーンと、敷地内に設置された小型クレーンが材料の上げ下げをして動いています。
次に反対側の北側の工事状況も見てみることに。
北側の写真です。
アンテナと大型クレーンとが2段おきに連結されていました。
ビル部分の最上部角には消防局のマークが取り付けられています。
ビルの壁面も北面、西面とも所々が工事用のネットで覆われ工事中の状況。ビル内部についてもまだ完成には至っていない様子でした。
京セラドーム大阪の南側には2007年度版の選手の顔写真の入った横断幕が掲げられていました。
来月、3/26にも大正区へ行きますので引き続き“秘密基地”<大阪市西消防署>の建設工事状況をご報告致します。
2007年02月23日
秘密基地完成までもう少し?!
JR大正駅を北西へ少し歩くと川の傍に大きなガスタンクが見えて来ます。
そのお隣にあるのが<京セラ大阪ドーム>(チラッとしか写ってないですが)。
『UFOみたい』と言う人もいれば、『アワビみたいで気持ち悪い』と言う人もいたりと、そのデザインは千差万別です。
そのお隣にある立派な建物が<大阪市交通局>のビル。
そしてその隣に何やら大きな塔のようなものが建設され始めました。
このあたり、ずっと以前には古い建物の消防署のようなものがあった記憶もするのですが・・・。
昨年の10月に来た時には何も無かったのですが、12月にはこんな風に土台部分が作られ始めていました。

そして1ヵ月後の今年、1月29日にはここまで高くなりました。
多分通信用のアンテナを取り付けるのだろうかとは思うのですが、これが完成するとこのエリア・・・・・、
まるで子供の頃に見た特撮やアニメに出てきた《秘密基地》のような姿に映りませんか?
市営地下鉄朝潮橋駅傍の<大阪プール>やその先に聳える、WTCやATCビルしかり、浅田真央ちゃんも滑った門真市の<なみはやドーム>&<鶴見はなぽーとブロッサム>などなど。
どれも皆、なかなか個性的(近未来的)なデザインの建物ばかりです。
大阪府では政策として“Osaka”を映画撮影の場所として誘致する活動を進めている(はずな)のですが、これだけ多くの“素晴しい”公共的な施設があるのなら、《特撮映画ロケ地》としてセットでどんどんプッシュしてもらいたいですね。
ウルトラマンの40周年記念作品映画の舞台として神戸が採用されましたが、大阪だって様々な“怪獣”(最初はゴジラに出てきたアンギラスかな?)や“宇宙人”に<来襲>されて来たんですから(笑)
2/26にまた行く用事がありますので進捗状況を報告しますね。
追記;ゴリモンさんの記事への書き込みコメントの中で今回取り上げた建物は大阪市消防局のものとのコメントがありました。
2007年02月21日
通天閣の改修工事前後の風景
大阪の名所の1つ<通天閣>、この建物昨年の夏から秋にかけて外装やネオンの改修工事が行なわれました。
いつか記事にしようと思いつつ延び延びになっておりましたが、ゴリモンさんのブログで新世界と通天閣の写真が載せられておりましたので今日、記事として取り上げる事にしました。
私が通天閣の改修工事に気付いたのは昨年の7/13の夜の事でした。この部分については7/24付けの記事として書きました。
シンボルであるネオン灯が消え、真っ暗な通天閣の写真が載せてありますのでご覧になってみて下さい。
そして無事改修工事も終わり、昨年の10/27に点灯式が行なわれ現在の姿となりました。
たまたま今回の改修工事期間を含んだ通天閣の写真が何枚か手元にありましたので今回アップさせて頂きます。
まず最初は2005年8月13日にJR天王寺駅傍から写した写真です。カメラの質が悪くちょっと見難いですが、お許し下さい。
手前の天王寺公園の木立越しに通天閣が見えています。右手の瓦屋根の建物は大阪市立美術館です。
自動車が止まっている橋の下にはJRの電車が走っています。この道路は“上町台地”と呼ばれる大阪市内で一番地面が高い場所に沿って造られているので線路はこの様な場所に落ち着いたようです。
次の写真は2006年3月27日に一心寺さんの境内から西側を向いて撮影したものです。
通天閣には東西南北4面に文字が書かれています。
この写真では正面の東面に<HITACHI>の文字、北面には<日立プラズマテレビ>と書かれています。
同じ日に市立美術館正面入り口付近で撮った別の写真では南面が写っていました。ここには<日立ITソリューション>と書かれています。
この時の西面の文字は不明だったのですが、取り決めとして西面は公共広告(標語)を表記することになっているので、そのようなコメントが書かれていたものと推測されます。
次の写真は2006年5月20日午前のものです。JR天王寺駅より100m程度北側で撮影しました。
次の写真は2006年8月14日に市立美術館正面入り口付近で撮った写真です。
次の写真は1ヵ月後の2006年9月13日に天王寺公園内から撮影した写真です。
はっきりとは確認出来ませんが東面の大時計の文字盤が無くなっている様な雰囲気がします。
JR新今宮駅から北方向へ少し行った所からの撮影です。
南面の文字は<安心と信頼の日立グループ>に変更となりました。
公共広告が書かれているという西面には<元気な大阪 美しい水の?>一番下の文字は見えなかったのですが多分“都”だと推測されます。
(水都 大阪 と言いますので)
南面をバックに商店街を撮影しました。ゴリモンさんの写真と同じ場所ですね。
そして通天閣下付近から南面を撮った写真です。
東面には<HITACHI>の文字がはっきりと見えますが、その下には<Next>の文字が見えます。たぶん夜間のネオンサイン点灯の時に<Inspire the Next>の文字と定期的に切り替わるのではないかと思われます
時計のデザインも変わったような印象を受けました。
北面には前回同様<日立プラズマテレビ>と書かれています。
最後はJR天王寺駅付近から天王寺公園と通天閣を写した写真です。
梅田、難波のみならず天王寺周辺でも高層建物の建設が進んできています。
梅田の丸ビルのように周りを高い建物に囲まれ、大阪のシンボルである<通天閣>が隠れてしまわないような規制を考えて欲しいと思います。
最後におまけ情報です。(音が出ますのでご注意下さい)
日立製作所さんが通天閣に関する映像を発信してくださっていました。
<通天閣 前編> 2代目通天閣の歴史をコンパクトにまとめてあります(約8分)
<通天閣 後編> 今回の改修工事の模様をコンパクトにまとめてあります(約7分)
是非ご覧になって下さい。
追記;上の文章で不明だった“水の○”に入る文字判明しました。
2006年12月18日にJR新今宮駅プラットホームから撮影した写真を発見。
やはり“水の都”でした。 あーっ、すっきり!
2007年02月03日
ミーオ? ミオ? (名前の類似性)
日本地図を見ていると、離れた所に似たような名前の地名を見つける事があります。
例えば、近畿の場合。
四国の徳島県、兵庫県の淡路島、和歌山県は、鳴門海峡(渦潮で有名)、紀淡海峡、紀伊水道を介して隣り合っているのですが、それぞれ、海を挟んだ両岸地域にたくさんの共通した地名が存在しています。こちらのサイトをご覧になって下さい。
また、もっと遠く離れた地域の例を挙げると、紀伊半島と房総半島にはそれぞれ、『勝浦』や『白浜』といった共通する地名が存在しますし、紀伊の『湯浅』の醤油醸造業者が房総に移り住み、銚子で『ヤマサ醤油』をはじめたと言う歴史もあり、古くからの交流が伺われます。
古いものでは、紀元2-3世紀頃に存在したとされる<邪馬台国>の存在した場所を巡る論争があります。
“九州説”と“畿内説”とが有名ですが、この2地域に関連しては、福岡県南部にある甘木地方周辺と奈良県中部に位置する飛鳥地方周辺の地名が、それぞれの地名と地理関係までが互いに似通っていると言う事が注目されています。
と、学術的なことを書いてきましたが、先頃、これに共通した新発見!をしましたのでご報告いたします!!
とは、大げさですが(笑)。
昨年12月に千葉県に行く機会がありました。
その際、駅前のショッピングセンター内で何気なく目に付いたのがこの表示板。
<ミオ>といえば大阪の天王寺にあるショッピングセンターの名前が<MiO>(ミオ)です。
ちなみに千葉の<ミーオ>のアルファベットは<Mio>で“オー”が小文字です。
『えっ、どういうこと?』と思わず写真に収めました。
こんなに離れた距離でありながらとっても似た名前のショッピングセンターが存在していた事にビックリ。
ちなみに両ショッピングセンター共にもうさらに2つ共通点が。
千葉の<ミーオ>の近くには“新宿”と言う地名があります。
一方、天王寺の<ミオ>の場合には道路を挟んだ向かい側に<新宿ごちそうビル>という名前の建物が建っています。
どちらも“新宿”つながりです。
さらにどちらのショッピングセンターも運営母体は電鉄会社でした。
となると気になるのが、『どっちが先に出来たの?』と言う点。
大阪の人間として『真似をした』と言われるのは嫌なので調べてみました。
その結果、天王寺<ミオ>は平成7年(1995年)9月より営業開始、一方の<ミーオ>は平成10年3月の開業でした。
2年半先行していた事にホッとしました。
こんなネタを幾つもの学術的な発表と並列にして書いたのはいささか不謹慎ですが、かつて“地名”を決めた時にも、きっと何かしらその時代での流行りや感覚(故郷と似た風景を懐かしんで同じ名前にする)が影響していたのではないかと思われたからなのです。
今度出掛ける時には、かつて日本中に存在した“○○銀座”を意識して歩いてみようと思います。
(以前、東京にある“戸越銀座”の近くに住んでいましたので)
2006年08月01日
この日のコンコースはちょっと華やか(阪急百貨店コンコースのその後と天神さん)
7/25夕方、阪急百貨店コンコース南側の様子を見に行きました。
ちょうど退社時間と重なった感じで人の流れは多い感じ。
今回は阪急電車のりば側(北側)からコンコース南側へと進みます。
7/11のコンコースと比べると何やら全体に明るい(カラフルといった方が正しいかもしれません)印象です。
よく見るとコンコースの柱全てに広告が付けられています。
宮崎駿監督率いるスタジオジブリの最新作品です。今回は世界的なベストセラーを原作にしたことと共に、東京三鷹の森ジブリ美術館建設の際に手腕を示した、息子の宮崎吾朗氏の初監督作品としても注目されています。
ちょうどこの週末からの上映開始だった事もあるからでしょう。コンコースが宮崎ワールド化しており、すごい力の入れようが感じられます。
でも立ち止まってじっくり見る人は殆ど居ませんでした。興味が無いのかなあ。
そのゲド戦記の広告だらけの柱の影でひっそり(こっそり?)貼り付けられていたのが、阪急建て替え工事後のイメージ図でした。
何だか今と比べると、高さが高くなるにしては重厚感に欠ける軽い感じの建物に見えました。
7/11と同様のコースでHEPナビオ側(阪急東通商店街の方向)に出ることに。
7/11時点では建物の外壁が見えていた部分も写真のように完全に覆われてしまっていました。
通路を出ると再び街の賑わいが現れます。
百貨店の屋上部分まで、完全に覆われていますが、その裏側では外壁を取り壊すような工事はまだ始まっていないようでした。
両百貨店を繋ぐ歩道橋の上では、テレビ局によるインタビュー取材があちこちで行なわれていました。
実は、ちょうどこの日は《水都》大阪が誇るお祭り、《天神祭》の日だったのです。
(コンコース内の写真にも浴衣姿の人がチラホラ写っていたのはそのためです。)
どうやらそれに関連した取材を行なっているようでした。
帰りに乗ったJR環状線は、天神祭り見物に向うお客様ですごい混雑でした。
その為、JRでは女性専用車両が設けられる時間帯にもかかわらず、それを中止にする措置をとっていました。
最寄り駅であるJR桜ノ宮駅ではホームから外までぎっしりと人の波が出来ていました。
これなら1つ手前の天満駅や京橋駅で降りた方が早かったかもしれませんね。
今年は天候に恵まれ、無事花火も打ち上げられる天神祭となりました。
私はと言えば、冷房の効いた自宅で家族と共に快適なテレビ中継での天神祭りを楽しみました。
数年後、子供が大きくなったら一度は連れて行ってあげようと思います。
2006年07月24日
7/13 夜のJR新今宮からの風景 (闇夜にかすむ大阪の名所)
7/13(木)、妻の定期検診に付いて行った帰りのことです。
乗換駅であるJR環状線、新今宮駅のプラットホームから北の方向を見てびっくり。
そこにあるはずのものが見えません。
でもやっぱりおかしいのです。全ての電気が消えています。
今までこんな通天閣を見た事はありませんでした。
この時間であれば、日立のネオンサインが明るく点り、時計の文字盤も時刻をはっきりと見せているはずです。
帰って、通天閣の公式HPを見てみました。
それによると、日立製作所の協力により、再建された現通天閣が本年10月に開業50周年を迎えるのを記念して、ネオンサインのリニューアルを行なう為、7/1の消灯後から10/20までの間工事が行なわれ、四方にある日立の広告や全ネオン管が取り替えられ、東西に取り付けられている大時計もデザインが変更されるらしいのです。
完成は10/20、点灯はちょうど50周年に当たる10/28からになるそうです。
どうやらそれで“真っ暗”だったらしいのですが、通天閣の頭頂部はネオンサインによるお天気予報の表示塔として働いていますので、“通天閣全てが真っ暗”になってしまった今、明日の天気が一見上げで分からず困っている地元の方が大勢いらっしゃる事と思われます。
さらに、夏休みを利用して大阪に遊びに来た観光客の皆さん(や、甲子園で頑張る高校球児達)にとっても、大阪名物がこれではちょっとがっかりでしょう。
大阪に住むものとしては、せめて期間限定でも、部分的に点灯させるようなサービスや配慮をしてくださることを是非とも期待します。
2006年07月21日
2006年7月10日 <阪急コンコース南側最後の日>を記録しておきたくて(プチ記念?品作りました)
2006年7月10日 <阪急コンコース南側最後の日>を記録しておきたくて撮影に出かけた夫婦ですが、何か形に残そうと言う事で意気投合しました。
そこで思いついたのが、<郵便局の消印>です。
この日は先日の記事で紹介したソニーのハイビジョンビデオカメラ用の偏光レンズを買いに行く予定もありましたので、阪急コンコースの撮影後、ヨドバシカメラ梅田店に向かいました。
そして、偏光レンズ購入後、横にあったデジタルカメラ用の写真プリンターを利用して、この日撮ったコンコースの写真の中からを2枚だけ選んでプリントアウトしました。(機械が勝手にトリミングしたようで変な画面構成になりました)
この写真を持って、大阪中央郵便局へ。
夜の9時を過ぎたと言うのにかなりの人が訪れていました。
暫く並んで切手を買うことに。
掲示板にはたくさんの記念切手のポスターが貼られていたのですが、それらの販売は午後7時までとのこと。
同じ切手なのにどう違うのかが理解出来ませんでしたが、規則だとの事でしたので(民営化したのにサービス悪いぞ!)、この時間に買える切手を見せてもらいました。
通常の郵便切手と慶事用の2種類だけでした。
通常切手ではあまりにも寂しいので、コンコース取り壊しで全然おめでたくは無いのですが、慶事用切手にしました。
写真の裏に切手を貼り、大阪中央郵便局の風景印を押してもらいました。
乾くまでにかなりな時間が掛かりましたが、ある意味よい記念になったと思います。
この記念の写真、そしてデジカメ写真と、ハイビジョン画質で撮影(出来たであろう)ビデオ映像を<在りし日の阪急コンコースの思い出>として大事に残していこうと思います。
そして閉鎖(2006年7月11日夕方 阪急コンコース南側の様子)
2006年7月11日の夕方、この日から閉鎖となった阪急コンコース南側部分の様子を見に行ってきました。
警備員さんが腕でバッテン印を作って、通れないことをアピールしておられました。
以前はこんな感じだったのですが。(写真は1月15日のものです)
仕方が無いので指示に従い、左にある通路を使用し、東方向(阪急東通商店街やHEPナビオの先端付近)へ出る事にしました。
前日まではこんな感じだったのに今日は大きな塀で覆い隠されています。
百貨店の入り口かショーウインドウであったらしき場所には全てシャッターが下ろされ、本当に単なる通路へと変貌しています。
さらに進んで出口に到着しました。
しっかりシャッターが下ろされています。
あれから10日が経ちました。取り壊し作業は既に外観まで及んでいるのでしょうか?
来週の7/25に梅田に出る用事がありますのでその時に確認してみるつもりです。
2006年07月20日
2006年7月10日 阪急百貨店 コンコース南側(通行出来る最後の日の様子)
昨年からこのブログを通じて、阪急百貨店コンコース南側部分の様子をお伝えしてきましたが、いよいよ最後の時がやってきました。
2006年7月10日をもって阪急百貨店コンコース南側部分の通行が出来なくなりました。
そして翌、7月11日からはこのエリアは工事に伴い完全封鎖となります。
そこで今回は通行が許された最終日7月10日夕方の阪急百貨店コンコース南側部分の様子をご紹介します。
このコンコース南側部分は地下街につながる階段が多いので、まずは梅田の地下からスタートすることにしました。
まず最初が地下鉄御堂筋線南側改札横の階段から。すぐ横には阪神百貨店の地下入り口がある付近です。
この階段は写真のコンコース西側の階段とつながっています。
結構な人の流れがある階段です。
コンコース南側のメイン階段とつながっていました。
一見すると広いのですが、踊り場状になった付近まで上がると、その付近にあった百貨店地下売り場への入り口は封鎖され、そこから先の階段は極端に狭くなっていました。
コンコースまで上がった後、階段部分を写した写真です。人の流れは途切れる事がありません。
ここからはコンコース内の写真を載せていきます。じっくり観て下さい。
私達夫婦が撮影をしている間、同じ様に撮影しに来たのであろう人がチラホラいらっしゃいました。
壁画取り壊しで騒がれた頃のような撮影ラッシュに近い賑わいは全くありませんでした。
いつもと変わらぬ雑踏を受け入れるコンコースですが、その中に、ただ刻々と最後の時を迎えようとしている静寂の雰囲気のようなものを感じました。
この日、このコンコースを通りながらそれを感じた人はどれだけいたのでしょうか?
7/10深夜のコンコース南側の様子につきましてはゴリモンさんのブログで紹介されています。
是非ご覧になってみて下さい。








