2013年02月21日
不発弾の処理作業が行われます(第二次世界大戦の負の遺物)
約2週間前の事、我が家のワンコ、アメリカンコッカースパニエルのレディ子をお散歩させていたところ、市の掲示板に1枚の白黒のお知らせが貼り付けられていました。
なんだろうかと思って見てみると、<不発弾の処理・撤去をします>との文字が。
平成25年1月10日に八尾市東老原2丁目の関西電力八尾変電所内で不発弾が発見されたそうで、それを処理・撤去するお知らせでした。
実施日時は平成25年2月24日(日)午前9時から信管除去等の安全措置完了まで(午後1時頃までを予定しています)
避難範囲も図示されていました。(不発弾から半径300mの範囲)
交通規制時間も午前8時30分頃から行われるようです。
図を見る限り、国道25号線がこの避難範囲の円に含まれており、円の外ではありますが、すぐ傍には関西線(大和路線)も通っています。
私達が住む地域からはかなり遠い場所ではあるのですが、列車の運休や道路規制に伴う交通渋滞が気になります。
何だか重い気持ちになって散歩から帰りました。
そして先週末からはカラーのお知らせとなって、掲示板や幹線道路の立て看板として八尾市内のあちこちで目に付くようになりました。
車輌通行禁止区間と、迂回道路が記載された割合い分かりやすい図になっています。
ただ、かなり広い範囲で何らかの規制が掛かってくるようです。
第2次世界大戦終了からもうすぐ70年が経過しようと今となっても、こんな形で戦争の負の遺産がひょっこりと顔を出してくる事の恐ろしさと共に、二度と戦争と言う過ちは繰り返してはいけない気持ちが強くなりました。
今回不発弾が発見された場所から南西に少し行ったところには八尾空港という第二種空港が存在しています。
現在はセスナやヘリコプターの民間航空会社と共に自衛隊も八尾駐屯地を設置し、八尾空港を利用しています。
民間機用の飛行場として開港されたものの、まもなくして軍に接収され、大正飛行場という名称で使用されていた空港だけに、空襲の標的にされた結果、不発弾という形で近隣地域に残ってしまったのでしょうか?
八尾空港があるこの河内地域は大昔には河内湖という汽水湖だった歴史があり、現在も所々に田畑が広がる地盤の軟らかな地域です。
この軟らかな地盤が不発弾を生む一因となってしまったのかもしれませんね。
今回の不発弾が気になったので、日曜日の午後、子供達と大阪府立中央図書館に行った際、4Fで八尾市が編纂した“八尾市史”の近代編を読んでみました。
やはり大阪への空襲に伴って八尾市内でも何度か空襲被害があったという記述が見つかりました。
このうち、昭和20年7月28日の午後1時10分頃、当時の志紀村の日発変電所八尾変電所が爆撃を受け、変圧器15台中9台が焼失という記載がありました。
今回見つかった不発弾は、この時の爆撃で落とされたものの1つではないかと想像されました。
“不発弾処理”は悲しい出来事ですが、これがきっかけとなって学校や家庭で平和の大切さについて話し合われるなどの機会が持ってもらえれば、ある種、意義あるものとなりますね。
(我が家では保育園の年長さんの息子に、戦争でこの爆弾が落とされたことや今回のように戦争の傷跡は長く残る事などをワンコ散歩の時に話しました。)